星と森の詩美術館は1996年10月、株式会社 丸山工務所の社会事業の一環として“街にゆとりとうるおいを”の理念のもと、郷土にゆかりの深い作家である星襄一の木版画、人間国宝 天田昭次の日本刀、二科会評議員 藤巻秀正の彫刻など、収蔵品をはじめとした企画展示を開催する美術館として開館いたしました。
印象的な館名は、星襄一の木版画「星の森」、天田昭次の刀剣「七星剣」、藤巻秀正の彫刻「森の詩」にちなんで名づけられました。
駐車場からブナの小路を抜け池の回りを一周する「藤巻秀正彫刻プロムナード」では、妖精やリスにウサギなど“森の仲間たち”が出迎え、日常の喧騒を忘れさせてくれることでしょう。ブナの林のなかに立ち、梢を見上げれば星襄一の“樹”の世界です。美術館周辺の景観すべてを取り込み「星と森の詩美術館」といたしました。
ささやかな美術館ですが、ゆったりとした時間の流れと空間に身を置くことで、心にうるおいを感じていただければ、と願っています。
星 襄 一 【ほし・じょういち】
1913 | 新潟県北魚沼郡小出町(現 魚沼市)に生まれる |
1932 | 台南師範学校卒業後、13年間台湾で教職に就く |
1946 | 小出町に引揚げる 謄写版印刷業を営むかたわら、孔版画を独習 |
1949 | 日本版画協会展で根市賞受賞
'52 同会会員となる |
1956 | 武蔵野美術学校(現 武蔵野美術大学)西洋画科
卒業後に木版画を独習 |
1959 | 国画会展にて国画賞受賞
'60 同会会員 '76 退会 |
1979 | 6月17日 死去、享年65歳
11月 『星襄一自選作品集』刊行(阿部出版) |
十日町市においては、1959~67年に「スノリア(合成樹脂による工芸製品)」のデザイン、1965年には木版手摺り塩瀬帯の製作に携わりました。 木版画では、抽象表現に始まり星座シリーズを経て樹の連作にいたるまで、20余年の創作活動で約400点の作品を遺しました。 |
天 田 昭 次 【あまた・あきつぐ】
1927 | 新潟県北蒲原郡本田村(現 新発田市)に生まれる |
1940 | 日本刀鍛錬伝習所に入門、栗原彦三郎昭秀に師事 |
1954 | 文化財保護委員会より作刀認可を受ける |
1959 | 自家製鉄の研究を始めるが、翌年より闘病生活に入る |
1968 | 病気回復し、作刀を再開する |
1973 | 伊勢神宮式年遷宮御神宝大刀謹作
'92、2005も |
1974 | 横綱 北の湖土俵入りの太刀謹作 |
1977 | 第8回正宗賞受賞
'85 第11回同賞、'96 第12回同賞 |
1997 | 重要無形文化財「日本刀」技術保持者に認定される |
1999 | 勲四等旭日小綬章受章 |
2005 | 新潟県災害復興祈念剣「不動丸」謹作、県に謹呈 |
2006 | 秋篠宮悠仁親王殿下の御守刀を謹作 |
2013 | 6月26日 死去、享年85歳 |
日本刀の頂点といわれる鎌倉時代後期の刀剣を目標に、自家製鉄にこだわり研究を続け、山城伝、備前伝、相州伝の各流派で現代日本刀剣界の最高賞である正宗賞を3度受賞しました。そして長年の研究の末、清澄な秋の夜空を思わせる“天田地鉄(あまたじがね)”に到達しました。 |
藤 巻 秀 正 【ふじまき・ひでまさ】
1937 | 新潟県中魚沼郡川西町(現 十日町市)に生まれる | |
1960 | 多摩美術大学彫刻科卒業 | |
1969 | 二科展特選 '70 同会会友推挙 '79 会員推挙 | |
1972 | パリ国立美術学校コラマリーニ教室で学ぶ | |
1989 | 埼玉野外彫刻プロムナード展[埼玉県美術協会賞] | |
1990 | 第3回ロダン大賞展[美ヶ原美術館賞] | |
1992 | 第4回ロダン大賞展[彫刻の森美術館賞] | |
1995 | 第2回木内克大賞野外彫刻展[東海村村民賞] | |
1996 | 第8回神戸具象彫刻大賞展[神戸市開発管理事業団賞] 十日町駅西口にモニュメント「大地の響」を設置 |
|
2000 | コモ市(イタリア)にモニュメント「友愛」を設置 | |
2011 | 平成23年度社会教育功労者文部科学大臣表彰 | |
2012 | 二科会評議員に就任 | |
2013 | 第98回二科展[文部科学大臣賞] | |
2021 | 令和3年度地域文化功労者文部科学大臣表彰【芸術文化】 | |
自然と人間との共存・自然への讃歌をテーマに、こどもや動物の姿で親しみ易く表現される作品は、自然が奏でる音楽やこども達の笑い声で満たされています。 |